古賀徹教授


「教育」というものは極めて「国際性」の高いものだと考えています。

Q.担当科目を教えてください。
  「生涯学習特講」では,「学習」と「発達」というふたつのことについて考えていきたいと思っています。まず「生涯学習」という言葉はすでに一般的なものとして受け取られていると思いますが,ではここで使われる「学習」とはどういうこと(もの)なのか? 何をもって「学習」と呼び,その行為に何が足りないと「学習」ではないのか。「生涯学習」することの目標は何かという問題もあります。「学習すること」そのものは意義深いことですが,個々に「学習目標」があるのだと思います。その目標を「発達」という概念から考えてみたいのです。技能でも知識でも,学ぶことによって何かの能力が「発達」するのだともいえますが,それでは「生涯におよび発達する」ということを深く考えていくとどうなるのか? こういうことに「?」と疑問をもちながら考えていただきたいなと思っています。世界中で発言され,共有されている概念として「持続可能な社会の在り方」「知識基盤型社会」などといわれるのも,まさに「生涯学習」することで「生涯発達」するということで達成されるのだということもできます。ですから,この授業では「学習」と「発達」というふたつのことについて考えていきたいと思っております。

Q.先生の研究テーマについてお聞かせください。
 
「比較教育学」というのが専門領域です。国際的な観点で教育を比較して,何らかの答えを導き出そうという考え方です。比較研究の領域は広いのですけど,私の場合は単純にどこかの国を研究するというエリア・スタディーとは違って,「日米」「アメリカ合衆国-東アジア(その中での日本)」「日本とフィンランド」のように「日本」と他国(あるいは複数)間を比較するというスタイルをとっています。最近は,現代社会における「学習」(学習活動・方法論)とその効果(評価)について考察するため,フィンランドやカナダとの比較考察を進めています。
 「教育」というものは極めて「国際性」の高いものだと考えています。現在でも「世界の高等教育ランキング」を気にしたり,ノーベル賞受賞者の数を競い,その数を増やすための教育施策充実が求められたりします。またOECDのPISA調査の結果を受けて,やれ「日本の子どもの学力が低下した」だの「もちなおした」だの議論されるわけです。小学校から大学まで「英語教育」が問題視されるのもこのことをあらわしています。もちろん日本以外の国でも「高等教育への外国人留学生受け入れを増やす」ことや「交換留学制度の充実」等が目標とされるのは同じことです。グローバル化やボーダレス化の進展に伴って外国との垣根が低くなっていくに従い,モノ・カネだけでなくヒトの交流も盛んになっていく時代ですので,「国際性」が重要な課題となってくるわけです。なにせ「国際人」が必要なのだとすれば,それを育成するのも「教育」ですから・・・。
 そして,例えば日本の教育の「国際性」を追究することで,はじめて日本の「独自性」もわかってくるのだと思います。院生時代の研究テーマは,主に明治初期・明治前期の(教育における)日米関係を追っていきました。当時の「近代化」は事実上「西洋化」ですから,いまの言葉に置き換えれば「国際化」が急速に進められた時期といえるわけです。この「国際化」も「近代化する」といえば,あたかも「前近代国家」の文化や産業などが発達していく直線的な成長を思い浮かべられるかもしれませんが,実際にはそういう「遅れた状態」ゼロから「近代化した状態」へ年次ごとに伸びていく「直線」ではなく,「曲線」あるいは「ジグザグ」になっているはずです。初期は「急速な近代化志向」というか「西洋化」の圧力やブームが起きる。科学技術や近代様式・文化が急速に移入されるのですね。ものすごい勢いで近代学芸などが入ってくる。人々がそれを欲するのですね,きっと。
 ところが,それが5年たち10年経過するというようになっていくときに「新しい文化」への警鐘や反対の意見も強く出てくるようになる。揺り戻しや,逆転現象,土着化,内向き志向,国家主義的志向,逆コース化などいろいろな言い方はあると思いますが保守的な傾向が強まってくる。特に既存の権力側からこういう危機意識が出てくることが多いですね。すると,「西洋化批判」の動きが強まり,急速に上に向かっていた線がカーブして下降していくことになる。これが何度も繰り返されることで,進歩や変化していくんでしょうね。
 コンサバティブとリベラルの対立とも共通しますし,「拝外」と「排外」の間での揺れ動きともいえる。政治的な政策の選択肢としてもこういった「変動の波(ジグザグ)」は見られますし,教育のレベルでいえば「学力重視」vs.「経験重視」,「知識量・基礎基本重視」vs.「思考力・パフォーマンス重視」など,様々な対立とそれに伴う変革が繰り返されてきました。日本以外の国においても同様の「波(ジグザグ)」を見ることができるわけです。
   比較研究をしていくと上記のような現象がみえてくるわけですが,そういうものをどう理解したらいいのかと考えていくと,結局は哲学,歴史学,社会学,政治学,経済学,心理学,あるいは宗教学といった他の学問領域からヒントを得ながら整理していくということが必要になってきます。
 ちなみに,これは「大学院」だからこそ可能だと思うわけです。私も大学院生の当時は「教育学」という研究室に在籍はしていたわけですけど,大学院の世界(他の専攻)にはたくさんの先生方・先哲がいらっしゃるわけです。他の専門領域の人に学ぶことができる。探して選択した情報(資料)を解釈し,それを多様な視点から評価・確認することができる。それによって新しい見方,整理の仕方を見出すことができれば,それも一つの「創造」なんじゃないでしょうか。