古賀徹教授

「大学院だけは自分で選んで決めています。」

Q.先生の経歴について教えてください。
 神奈川県横須賀市の浦賀という町で生まれましたが,黒船(ペリー来航),浦賀造船所や旗艦三笠(日露戦争),米軍基地(安保問題)など,アメリカ合衆国の影響というか雰囲気の漂う街で育ちました。私の研究テーマが「比較教育」なのはこんなところからの影響もあると思います。ちなみに,父はロシア人のハーフですので,私はクォーターということになります。また一緒に住んでいた祖母は最後まで日本語を話さない(ロシア語のみ)頑固な人でした。それでいて「躾」には厳しいので友だちを連れてきてもそこに口をはさんでくる。ゆえに小学校時代は友だちが次から家に来なくなってしまう(笑)。父には「我が子は外で育てる(育つ)」という方針があったようで,姉は中学(オーストラリア),高校(アフガニスタン)と海外へ,兄は県外の全寮制高校(千葉県)にと出されました。私は小学生のときからスポーツの成績がそこそこよかったので中学は学区外の強豪校へ,高校は茨城県(土浦日本大学高校),そして大学は山梨県(山梨学院)へと送られます。高校はインターハイ連覇中の強豪校,大学は同県で開催される国民体育大会のためにとスポーツ特待生として入学させられました。本人の夢は中学校のときから一貫して「教師」になることだったのですが,父や選手を欲しがる学校側という「大人の事情」で進路が決定されました。ですから大学院だけは自分で選んで決めています。「教育学」というものを突き詰めてみたかったのですね。まぁ,スポーツも国際大会や遠征など,いろいろな国に出かけることができたので,その後の「研究テーマ」につながっているとも思います。
 大学院では尊敬する恩師のおかげで「研究」の楽しさを知るに至ります。修士(博士前期)課程の小野次男先生,博士(後期)課程では佐藤秀夫先生。お二人ともすでに逝去されましたが,本当にその最後の日の寸前まで原稿を書かれていましたし,また私への最後の言葉が「研究は進んでいるか?」という病床からの心配しながらの電話であったのも共通しています。研究者というものの在り方・生き方を教えてくれた恩師との邂逅。「研究」って素晴らしいものだと思います。学会での発表に意欲的に取り組み,日本学術振興会特別研究員に採用され,いまこうして研究界に生きていけるのも恩師と大学院時代の学びのおかげだと思い,常に感謝しております。

Q.インターネットを使った通信教育についてのご感想は?
 現在,学部教育として通信教育部に所属して授業を担当していますので,「通信教育」の素晴らしさや難しさも多少は理解しているつもりです。インターネットを使った授業や情報交流についても,通信教育部には「メディア授業」というオンデマンド形式の授業コンテンツもありますし,他大学でも「メディア空間」を構成しながら授業をつくる形式(コンピューターネットワーク式ティームティーチング)を活用して「教員養成」の授業をしていますので,様々な方法・形式があることや,その可能性については理解しています。
 インターネットを使う時代になって,国際性が増すというか便利になったなぁと感じた出来事があります。2009年の春に(1月から3月いっぱいまで)ヘルシンキ(フィンランド)で在外研究を行なっていましたが,学部の成績やシラバス等はweb上で入力を済ますことができました。また,私は2011年度から大学院を担当させていただいていますが,当時のシラバスは台湾への出張中にメールで送ったことを覚えております。このツールと実際の対面での機会,両方を目標達成のためにいかしていくことが大切ですね。
 ちなみに,現在の研究テーマの関係上,毎年,数週間ですがフィンランドや北欧の国々を訪れることになっています。海外でも,学校間や地域間,国家間を結ぶインターネットによる情報交換・学習の仕組みが発展していますが,そういうのをいかして大学院や大学が海外につながることのできる「授業」をつくってみたいなというのが,最近の私の目標のひとつです。