瀧川修吾准教授

素晴らしい人々との出会いが,研究教育活動の原点であり,原動力です。

Q.先生の経歴について教えてください
私は,第二次ベビーブームのほぼ全盛期に東京都八王子市で生まれました。受験戦争で過度な苦労をしないようにという親の愛情で,日本大学第三高等学校に進学させてもらえましたので,日本大学法学部に入学するまでは“強いて勉める”が如き,学問との付き合いはせず,好きな読書にばかり興じておりました。進学の動機は,
自身がいじめを受けた経験などから,社会的弱者を救済する弁護士になりたいという立派なものでしたが,つまりは映画やドラマの世界に憧れていたに過ぎず,現実の弁護士について知るに及び,その職に就きたいという情熱は消え失せてしまいました。
ちょうどその頃,母を末期癌で亡くすという悲劇にも直面しました。今にして思えば,第1希望の法律学科には受からず,第2希望の政治経済学科へ進学したことが,私には幸いしたというほかありませんが,後にゼミナールの担当教員になって下さった黒川貢三郎先生や,同じく大学院の指導教授を引き受けて下さった本田弘先生との素晴らしい出会いがあり,自然に「政治学」という学問に強く惹かれていきました。そして研究教育者を志望するようになったのは,やはり大学院で有賀弘先生と出会えたことが大きかったと思います。その圧倒的な知識量と洞察力の鋭さには驚嘆するばかりでしたが,様々な事を教わるなかで,学問と対話する楽しさに目覚め,人生を賭してでも探究したいと思える研究テーマも見つかり,それこそ死に物狂いで努力してでも,その職に就きたいと考えるようになりました。
とはいえ,そう簡単に就ける職業では無く,以後も想像を絶する艱難辛苦がございましたが,どうやら人間はやりたいことや好きなことのためには頑張れるようにできているようです(笑)。否,そうして藻掻いている私に手を差し伸べて下さる先生方や先輩方,同輩たちが居たからこそ,何とか頑張ることができたのだと感謝致しております。初めて教壇に立ったのは,急病人の代役として専門学校で「法学」を教える仕事でしたが,ここではかつて弁護士を目指して猛勉強した経験が大いに役立ちました。そこでも素晴らしい人たちとの出会いがあり,先生方からは教科書の執筆や講座担当の依頼,学生諸君からは教えることの醍醐味を教わりました(有り難いことに寄せ書きを頂いたり,任意の勉強会やバーベキューなどに招待してもらったりもしました)。
そうして非常勤講師を掛け持ちで頑張っていた頃は,収入も少なく,担当科目も様々で講義の準備にかなりの時間を費やさざるをえず,また移動も宇都宮に行ったり,磐田に行ったりと,大変な毎日でしたが,充実した5年間であったと思います。職人である父や兄譲りの私の長所と自認しておりますが,眼前の仕事と誠心誠意,向き合い,自分なりにベストを尽くし続けることの大切さを実感する日々でした。2009年3月には,日本大学で授与された「博士(政治学)」の学位第1号となる栄誉も授かり,地道に続けてきた征韓論に関する研究にも一区切りがつき,かくて研究と教育の経歴を着々と積み重ねた結果,2011年4月に日本橋学館大学(現,開智国際大学)で専任講師として採用され,ようやく専属の教育機関で研究と教育に従事できるようになりました。その後2016年4月には,母校である日本大学の危機管理学部で准教授として採用され,そしてこのほど,通信制大学院である総合社会情報研究科で講義を担当させて頂ける運びとなりました。

Q.インターネットを使った通信教育についてのご感想は?
ご質問の件につきましては,今回,本研究科での仕事が初めてとなりますので,現時点では明確な回答はできません。もっとも,これまでにもメールや,添付ファイル機能を活用した指導は,個別の講座において積極的におこなって参りました。“経歴”でも述べましたが,非常勤講師は1つの大学に常駐している訳には参りませんので,講義でリアクションペーパーを配付するだけでは,学生の知的好奇心に対し,十分に応えられないと考えたからです。専任教員になって以降も基本的なスタンスは変わっておりません。具体的には,講義内容に関する質疑応答のほか,特殊な事情がある場合に限ってですが,データ化されたレポートやノートの提出にも応じたことがあります。
経験的には,教育である以上,やはり対面コミュニケーションが望ましいとは認識しております。しかし,別して場所や時間を選ばず,個別の事情から生じる障壁の多くを克服できるインターネットの利点は,学びたい人々に対して広く開かれるべきである“教育”においてこそ,活用されることが望ましいとも考えております。
本研究科で,素晴らしい人々との出会いがあることを,そして新しい教育の可能性を私なりに発見できるのではないかと,今からとても楽しみに致しております。