瀧川修吾准教授

私の講義は,“対話が命”です

Q.オフラインでのエピソードは何かありますか?
普段の講義では,まずもって難しい内容をいかに噛み砕いて分かり易く教えるか,次に,どうすれば受講生に講義内容について主体的・積極的に考えてもらえるかの二点に全神経を注いでおります。前者はいわゆる専門バカとでもいうのでしょうか,そればかりを研究していると,どこまでが常識的・基礎的な知識で,どこからがマニアックな知識なのかが
所々分からなくなってしまっておりますので,受講生との対話で興味関心や難易度を探りつつ,話を進めるようにしております(時折,脱線暴走し過ぎてしまいますが)。
後者については,私がそもそも学問を,それこそライフワークにしたいと思うほどに“面白い”と感じるようになったのは,そうした主体性を持てるようになって以降だったからです。スポーツに喩えるならば,苦しい基礎練習で技術を習得し,ようやく試合が楽しめるようになってきた段階でしょうか。単調な事実やその前後関係,方法論やらメカニズムやらで,ただ暗記して詰め込む苦行にすら思えた個々の知識の習得が,一定量を越えると,体系的な連なりを持ち,様々な物事を分析し,把握する武器となる。本来は専門家にのみ許される愉しみなのかも知れませんが,こちらが情報を整理して上手に議題設定をしてあげることで,それが擬似的に可能となります。
具体的にはクイズや小テストといった手法で受講生との対話を試みますが,なかにはこちらの予想を上回る優秀な解答や,斬新な発想と遭遇することもあります。お題は,例えば「大日本帝国憲法の第四条をどのように解釈するか」といった真面目なものから,「徳川慶喜を怒らせて武力決戦に持ち込むには,どんな策略が有効か」といった冗談混じりのものまで様々です。むろん,それがそのまま期末試験の答案になるわけではありませんが,自らが主体的になって考えた“何故”に納得のいく答えを見出すためであったり,閃いた仮説を実証するためであったりすれば,本の虫になったかのような文献との格闘も,まさに宝探しに一変します。提示された命題が気になり,講義終了後に質問に来る学生や,しっかり調べた上でレポートに纏めてくる学生も少なからず居ます。これも父兄譲りの職人魂なのでしょうが,せっかく90分も私の話に付き合ってもらうのですから,予定通り一方的に進めるのではなく,彼らになにがしかの理解と満足を得てもらいたいのです。
本研究科を志望される皆さんのなかには,すでに教職にある方,ないしこれから目指そうという方も少なからずおられると思います。本来は,教職大学院で扱うべきでテーマなのかもしれませんが,要望さえあれば,折をみて教材研究や授業研究といった視点で通史を俯瞰する機会を設けてみたいとも考えております。修士論文は,どうしても重箱の隅をつつくような議題設定になりがちですが,自分の研究が通史に占める位置や,歴史的な意義について考えてみる良い機会にもなると思われます。

Q.趣味、休日の過ごし方は
 かつてはスキーや空手,フルマニュアルカメラでの写真撮影などに夢中になったものです。読書の合間にブラームスの交響曲を聴きながら,葉巻を燻らすのも日常的な楽しみでした…。現在は,HPの掲載写真からも察しがつくと思われますが,兎にも角にも“育児”が圧倒的割合を占めていると断言できます。育児がこんなにも重労働だとは,全くもって予想外でしたし,子供という存在がこれほどまでに愛おしいものだということも,想定を遙かに上回っておりました。
私からすれば好きで選んだこの道ですが,二十年来の付き合いとなる妻からすれば,さぞ困った交際相手であったと思われます。今は“育メン”を標榜しても詐称にはならないはずです。真面目な話,育児をしながら働く女性の大変さを目の当たりにし,さすがに傍観はできませんでした。「それもこれも,この子たちと出会うためだったと思えば,全てを幸せに感じられる」とは,妻の名言で,私も全く同感です。
眼前の学生一人一人もそうした想いに包まれ,未来に何かを掴まんがために学びに来ているのだと再認識すると,いつも身の引き締まる想いが致します。

Q.志望者に向けて、一言お願いします
修士(博士前期)課程での学びを希望される皆さんは,(大学ほどではないにせよ)まだまだ実に多様な夢や希望を持った方々なのだろうと推察されます。しかし,修士論文を完成させるプロセスを体験することで,今後の人生観がガラリと変わることになるでしょう。すなわち,(a)学問の虜となるか,(b)勉強が大嫌いになるかの二者択一です。
私の“経歴”をご覧になれば一目瞭然ですが,私が“指導教員”として大学院生を指導するのは,本研究科が初めてになります。しかし,初めて大学で講義を担当した時のような不安は,全くといって良いほど感じておりません。その理由は,私自身が通ってきた道だからというよりは,この道に入って以降,最も頻繁に,かつ身近に接してきたのが他ならぬ“大学院生”たちであるからだと思います。大学院でのチューター歴は,大学での教歴に倍するといっても過言ではなく,私にとっての“院生”とはお互いに切磋琢磨し,励まし合ってきた仲間たちの名誉ある称号にほかなりません。
だからこそ経験論的に断言したくなるのですが,残念ながら全員が学問の虜になれる訳ではありません。本人の“努力”は絶対条件ですが,資質云々という以前に,素晴らしい先行研究との出会いや専門領域との相性などもあるように思われます。就職先も決まらず将来に悩みを抱えながら,指示された最低限のノルマを必死でこなし,やっとの思いで論文を書き上げ,そのまま音信不通になってしまった,かつての優等生も少なからずいます。概して理解し,要領よく暗記することで好成績が取得できた大学までの勉強と,高度な主体性が求められる大学院での研究とは,同じ学問でも性質が異なるのです。
本研究科を志望される皆さんは,社会人ですから,外の世界を知らずにそうした挫折だけを味わう最悪の悲劇は,事前に回避されているわけです。その分,仕事との両立という困難を背負わざるをえないのでしょうが,そこは通信制のメリットを最大限に活かし,計画的かつ合理的に研究が進められるよう,私ができうる限りサポートをするつもりです。せっかくこの世に生を受けたのですから,最高学府たる大学院で,皆さんがもっておられる学問探究の可能性をためしてみては如何でしょうか。